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東京地方裁判所 昭和50年(行ウ)80号 判決 1981年3月18日

東京都保谷市中町六丁目五番一三号

原告

貫井一雄

右訴訟代理人弁護士

佐藤英二

東京都東村山市本町一丁目二〇番二二号

被告

東村山税務署長

須貝秀敏

右指定代理人

布村重成

池田春幸

渡辺昭寿

松下正人

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負但とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

1  被告が原告の昭和四〇年分及び昭和四一年分の各所得税につき昭和四四年四月一七日付でした更正処分及び重加算税賦課決定処分(但し、いずれも審査裁決により一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、金融業を営む者であったが、昭和四〇年分及び昭和四一年分の所得税について、次の表(一)、(二)の確定申告欄記載のとおり被告に申告したところ、被告から昭和四四年四月一七日付で表(一)、(二)の更正及び加算税の賦課決定欄記載のとおりの更正処分及び重加算税賦課決定処分を受けた。

原告は、右各処分に対し異議申立てをなし、審査手続を経たが、表(一)、(二)の裁決欄記載のとおり一部取消しを得たにとどまった(以下、右一部取消し後の昭和四〇年分更正処分を「本件更正(一)」といい、同じく昭和四一年分更正処分を「本件更正(二)」といい、本件更正(一)、(二)及び両年分の重加算税賦課決定を併せて「本件各課税処分」という。)。

表(一) (昭和四〇年分)

<省略>

表(二) (昭和四一年分)

<省略>

2  しかしながら、原告の総所得金額はいずれも確定申告のとおりであるから、本件各課税処分は原告の所得を過大に認定した違法がある。

よって、本件各課税処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の主張は争う。

三  被告の主張

1  昭和四〇年分総所得金額

原告の昭和四〇年分の総所得金額は、本件更正(一)の認定した金額と同額の二三六六万九〇二二円であり、その内訳は次の表(三)記載の通りであるから、本件更正(一)は適法である。

表(三)

<省略>

右の表(三)の各項目のうち、原告の争う符号1、3、4及び5の項目について、その金額の算定根拠を述べると、次のとおりである。

(一) 表(三)の符号1(収入利息)一一七四万〇八九六円別紙一記載の新井喜代繁九七件の貸付金に対する利息の入金額合計一一九八万七五七六円から訴外桜井秀雄に係る期首未収利息一万三六三〇円、同三留正雄に係る期首未収利息八八五〇円及び同根本政明に係る期末仮受利息二三万三〇五〇円を控除し、これに同三留正雄に係る期末未収利息八八五〇円を加えた金額である。

(二) 表(三)の符号3(物件処分収入)

二四八二万五〇〇〇円

貸付金の回収のため、訴外増田鶴一の保証人に対し有体動産の差押競売を行ってこれを原告が競落のうえ保証人に買い戻させたこと、訴外森田広吉所有の不動産を代物弁済により取得しこれを同人に買い戻させたこと、及び貸付金回収のために取得した土地建物を訴外清水春雄に売却したことによる昭和四〇年中の収入金額であり、明細は次の表(四)のとおりである。

表(四)

<省略>

右の表のうち、原告の争う番号3の収入金額の算定根拠は、次のとおりである。

(1) 原告は、東京都武蔵野市吉祥寺本町一丁目二一四三番の三一の宅地(以下「本件土地」という。)及び同所所在の店舗兼居宅(以下「本件建物」という。)を訴外清水春雄に売り渡したが、本件土地は、もと、訴外河田道一の所有に属し、訴外若林テツがこれを河田道一から賃借して同地上に本件建物を所有していた。

(2) 原告は、若林テツに対し昭和三六年一月一〇日に一〇〇万円を、同月三〇日に二二五万七五〇〇円を、同年三月九日に一五〇万円をそれぞれ貸し付け、右一〇〇万円及び一五〇万円の貸金につき本件建物に抵当権の設定を受け、二二五万七五〇〇円の貸金につき約束手形の振出を受けていたが、右約束手形が不渡となったことから、同年三月二四日同人との間の合意により本件建物を右三口の貸金合計四七五万七五〇〇円の代物弁済として原告が取得し、そのころ本件建物の引渡しも受けた。更に、原告は、若杯テツから本件建物を取得した当時同建物に設定されていた抵当権等を消滅させるために、同年七月二九日東京相互銀行荻窪支店に対して一四二万三六七一円を、また、同年十二月一日住宅金融公庫に対して一八万〇九九七円をそれぞれ弁済した。したがって、本件建物の取得原価は、以上の金額を合計した六三六万二一六八円である。

また、原告は、昭和四〇年三月一五日河田道一から本件土地を代金一六七万三二〇〇円で買い受けた。

したがって、原告が本件土地・建物を取得するのに要した原価は、合計八〇三万五三六八円である。

(3) そして、原告と清水春雄との間の武蔵野簡易裁判所昭和三九年(イ)第一七号和解事件において、昭和三九年四月二四日、原告が同人に本件土地・建物を代金二〇〇〇万円で売り渡す旨の和解が成立し、原告は、右代金のうち同日二〇〇万円、昭和四〇年六月五日までに六八二万五〇〇〇円、合計八八二万五〇〇〇円の支払を受けた。しかし、原告は、清水春雄が右和解の条項に違反したことを理由に右売買契約を解除するとして、昭和四〇年一一月同人を相手方として同簡易裁判所に建物収去土地明渡の調停を申し立て、同年一二月二一日両者間で「原告が同日新たに本件土地・建物を清水春雄に代金一五〇〇万円で売り渡す。本件土地・建物につき、両当事者間に他に何らの債権、債務のないことを確認する。」旨の調停が成立し、これにより本件土地・建物は同日原告から清水春雄に売り渡された。

(4) 右調停による売買契約は、前記和解を契機にして同一当事者間で締結されたもので、右調停による売買金額がそれ以前の和解による売買代金額よりも低く定められていること及び右調停条項の中で「本件土地・建物について、他に何らの債権、債務のないことを確認する。」と特に明記されていることからすれば、右調停で本件土地・建物の売買代金額を一五〇〇万円と定めるについては、前記和解に基づいて支払われた合計八八二万五〇〇〇円が考慮されているということができ、原告が昭和四〇年一二月二一日本件土地・建物を清水春雄に売り渡したことによる物件処分収入金額は、一五〇〇万円と八八二万五〇〇〇円の合計二三八二万五〇〇〇円であるというべきである。

(5) ところで、右和解及び調停による本件土地・建物の売買契約は、どちらも、個々の不動産につき売買代金額を定めることなく、両不動産を一括して売り渡すという一体不可分の契約であるところ、右契約においては、両不動産の所有権を買主に移転することができて初めて契約目的を達することができるのであるから、売買当事者の意思としては、両不動産につき買主に所有権を移転することが可能になったときに一括して所有権移転の効力を生ぜしめることをしたものと解すべきである。しかるところ、本件土地は、原告が昭和四〇年三月一五日にもとの所有者河田道一から買い受けたものであるから、昭和三九年四月二四日の和解による売買契約の時点では買主に所有権を移転することができなかったものである。したがって、これを一体不可分のものとして売り渡された本件建物も右和解によっては所有権が移転しなかったものというべきである。

そうすると、本件土地・建物の売買代金額は、すべて昭和三九年中の原告の収入金額には当たらず、原告が本件土地を買い受けた後に成立した前記調停によって、原告の昭和四〇年分の収入金額として確定したものというべきである。

(三) 表(三)の符号4(物件処分原価)八六四万五五六八円前項の譲渡物件の取得原価であり、明細は次の表(五)のとおりである。

表(五)

<省略>

右の表のうち、原告の争う番号3の取得原価については、(二)の(2)で述べたとおりである。

(四) 表(三)の符号5(貸倒損失) 一二〇万九二八八円

昭和四〇年中における貸倒損失であり、明細は次の表(六)のとおりである。

表(六)

<省略>

2  昭和四一年分総所得金額

原告の昭和四一年分の総所得金額は、本件更正(二)の認定した金額と同額の一七二五万三七五六円であり、その内訳は次の表(七)記載のとおりであるから、本件更正(二)は適法である。

表(七)

<省略>

<省略>

右の表(七)の各項目のうち原告の争う符号1及び6の両項目について、その金額の算定根拠を述べると、次のとおりである。

(一) 表(七)の符号1(収入利息) 一八六三万五四五九円

別紙二記載の新井喜代繁外一七二件の貸付金に対する利息の入金額合計一八二九万一六三八円から、三留正雄に係る期首未収利息八八五〇円を控除し、これに訴外塚田申二郎に係る期末未収利息一一万九六二一円及び根本政明に係る期首仮受利息二三万三〇五〇円を加算した金額である。

(二) 表(七)の符号6(貸倒損失) 五九万一三七四円

昭和四一年中における貸倒損失であり、明細は次の表(八)のとおりである。

表(八)

<省略>

3  重加算税

原告は、昭和四〇年分及び昭和四一年分の所得税について、真実は前記1及び2記載のとおりの所得があるにもかかわらず、表(一)及び(二)の確定申告欄記載のとおり過少に申告したものであるところ、右申告は、課税標準等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい又は仮装し、その隠ぺい又は仮装したところに基づいてなされたものであるから、被告は、国税通則法六八条一項の規定に基づき表(一)及び(二)のとおり重加算税の賦課決定をしたものであり、これに何らの違法もない。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1(昭和四〇年分総所得金額)について

(一) 表(三)のうち、符号1、3、4及び5の各項目は争い、同2及び6ないし18の各項目は認める。

(二) 表(三)の符号1(収入利息)の金額は一一七万三七五九円である。

被告の主張1の(一)のうち、別紙一の備考欄に「争いなし」と表示してある浅見久江外四〇件の貸付金に対する利息の入金合計一四二万〇四三九円以外の利息の入金があったことは否認し、その余の事実は認める。したがって、原告の収入利息は一一七万三七五九円となる。

(三) 表(三)の符号3(物件処分収入)の金額は一〇〇万円である。

被告の主張1の(二)の前文のうち、表(四)の番号1及び2に係る分合計一〇〇万円の収入金額があったことは認め、同3に係る分二三八二万五〇〇〇円の収入金額があったことは否認する。

被告の主張1の(二)のうち、(1)の事実、(2)の事実中本件土地の売買代金額を除く事実、及び(3)の事実中原告と清水春雄との間において被告主張のような和解及び調停が成立した事実は認める。しかし、原告は、河田道一から本件土地を約一六〇〇万円で買い受けたものであり、本件土地・建物の取得原価は、本件建物の分六三六万二一六八円を加えた約二二三六万二一六八円である。

原告は、昭和三九年四月二四日の和解による売買契約で本件土地・建物を清水春雄に代金二〇〇〇万円で売り渡すことを約し、同時にこれを同人に引き渡し、その直後に本件建物が取り壊され、滅失登記もなされたところ、清水春雄が右代金のうち六八二万五〇〇〇円しか支払わないため、原告が調停の申立てをなし、昭和四〇年一二月二一日原告が清水春雄に対し本件土地・建物を一五〇〇万円で売り渡す旨の調停が成立した。この調停は、昭和三九年四月二四日の売買契約を継続させ、その履行遅滞があったことを考慮に入れて、既に支払われた六八二万五〇〇〇円のほかに残代金を一五〇〇万円と定め、その支払方法等を取り決めたものにすぎない。すなわち、原告は、本件土地・建物を六八二万五〇〇〇円と一五〇〇万円の合計二一八二万五〇〇〇円で売却したが、この売買代金債権の発生時期は前記売買契約及び引渡しが行われた昭和三九年四月二四日であり、右売却による収入金額を昭和四〇年分の所得金額に算入することはできない。

(四) 表(三)の符号4(物件処分原価)の金額は六一万〇二〇〇円である。

被告の主張(1)の三のうち、表(五)の番号1及び2に係る分合計六一万〇二〇〇円の取得原価は認め、同3に係る分八〇三万五三六八円の取得原価は否認する。右3は、本件土地・建物の処分に係るものであるところ、原告は本件土地・建物を前記のとおり約二二三六万二一六八円で取得しているが、本件土地・建物の売却による所得は昭和三九年分のものであるため、右取得原価を昭和四〇年分の雑費に計上する必要はない。

(四) 表(三)の符号5(貸倒損失)の金額は一九〇六万一五六八円である。

原告の貸倒損失は、被告主張の一二〇万九二八八円に次の表(九)の一七八五万二二八〇円を加えた合計一九〇六万一五六八円である。

表(九)

<省略>

原告は、訴外恩田ハツイ、同恩田俊雄、同斎藤典久、同小池孝及び同渡辺清治(以下「恩田グループ」という。)に対し、借主名義を恩田俊雄、斎藤典久又は小池孝のいずれかとして昭和三九年中に別紙三記載のとおり金員を貸し付けた。ところが、恩田グループは、斎藤典久名義の分は昭和三九年一二月上旬から、恩田俊雄及び小池孝名義の分は同月下旬から弁済をしなくなり、結局、原告は別紙三の弁済欄に「無」と表示されている分は弁済を受けることができなかった。そのため、原告は、昭和四〇年に入ってから恩田グループに対する右貸金の取立てを始め、恩田俊雄及び小池孝に対して約束手形金請求訴訟を提起して勝訴判決を得たり、右両名及斎藤典久の資産調査及び行方調査等をしたが、いずれも無資力で取立不能であると判明した。

したがって、別紙三の貸付金額欄記載の金額から弁済欄に「有」と表示された分割弁済金額を控除した金額(貸倒損失額欄記載の金額)の合計一七八五万二二八〇円は、昭和四〇年分の貸倒損失に加えるべきである。なお、右の分割弁済金額は、本来は利息分も含んでいるものであるが、右貸倒額を計算するについては、弁済された分がすべて元本に充当されたものとして計算した。

2  被告の主張2(昭和四一年分総所得金額)について

(一) 表(七)のうち、符号1及び6の各項目は争うが、同2ないし5及び7ないし17の各項目は認める。

(二) 表(七)の符号1(収入利息)の金額は一七八八万七二五三円である。

被告の主張2の(一)のうち、別紙二の松井大八郎に係る八四万〇四五〇円の利息の入金額は否認し、その余は認める。松井大八郎に係る利息の入金額は九万二二四四円であり、したがって原告の収入利息は一七八八万七二五三円となる。

(三) 表(七)の符号6(貸倒損失)の金額は一二九万三七四九円である。

原告の貸倒損失は、被告主張の五九万一三七四円に次の表(一〇)の七〇万二三七五円を加えた合計一二九万三七四九円である。

表(一〇)

<省略>

3  被告の主張3(重加算税)について争う。

五  昭和四〇年分貸倒損失に関する被告の反論

1  原告は、恩田グループに対し別紙三のとおり貸付を行ったと主張するが、右の貸付のなされた事実はない。

2  仮に、別紙三記載の貸付金額が恩田グループに対して形式上貸し付けられていたとしても、それは所得税法上の貸倒損失の前提となる債権には当たらないというべきである。

すなわち、恩田グループが原告から金員を借り入れてきた実態は、同グループが当初に原告から借り入れた金員を弁済するために、従前の借入れの元本及び利息に当たる金員を原告から借り入れ、これで従前の元本及び利息を弁済し、この新しい借入金を弁済するために更に原告から次の借入れをするということの繰返しであって、この繰返しにより、利息が利息を生み、遂には多額な金額となったものである。したがって、右借入れに際して原告から恩田グループへ金員が動いたとしても、これは再び原告のところに帰着するに至っているのであるから、右借入れは、その実質において手形の書替えをなした場合と異なるところがないのである。原告から新たな借入金で弁済の形をとったにすぎない利息が課税の対象とされた事実も、もとよりない。そうすると、原告の恩田グループに対する各貸付金額には、実際には当初に貸し付けた貸付元本に当たる部分と従前の利息に当たる部分とを含んでいるものといわなければならないのである。そして、この利息に当たる部分は、利息制限法の制限を超過した月八分八厘五毛の利率に基づいて増加してきたものであるところ、所得税法上、収入すべき金額とは、収入すべき権利の確定した金額をいうのであるから、利息制限法によりその基礎となる約定自体が無効とされる同法の制限超過の利息債権は、右の収入すべき権利の確定したものには当たらないというべきである。,したがって、別紙三記載の貸付金額が形式上恩田グループに貸し付けられたとしても、当初の貸付元本債権に当たる部分及び利息制限法の制限内の利息に当たる部分以外の金額は、貸倒損失の前提となる債権として計上することはできないものである。

そこで、貸付元本債権に当たる部分及び利息制限法の制限内の利息に当たる部分の金額について検討すると、恩田グループは、恩田ハツイが恩田俊雄名義で昭和三五年ころ多くて一〇〇万円位を、渡辺清治及び小池孝が昭和三五年ころ多くて各一〇〇万円位を、斎藤典久が和年三七年ころ二〇万円を借り受けたにすぎないところ、これらの元本が昭和三九年一二月末日まで全く弁済されていないと仮定して、利息制限法所定の最高利率により借入年の当初から昭和三九年一二月末日までの利息金額を算出すると、次のとおりになる。

<1> 恩田ハツイ、渡辺清治及び小池孝に対する貸付

<省略>

<2> 斎藤典久に対する貸付

<省略>

そうすると、右のような仮定に立った場合でも、原告が恩田グループに対し法律上弁済を請求できる債権は、昭和三九年一二月末日現在、右の<1>及び<2>を合計した貸付元本債権三二〇万円及び利息債権二三五万八〇〇〇円合計五五五万八〇〇〇円にすぎないのである。

しかるところ、実際には恩田グループは、前述のように原告から借り入れて原告に弁済していたほか、原告以外の第三者からの借入金等によっても原告に弁済しており、このような第三者借入金等による弁済額だけでも、昭和三九年一二月末日までに前記五五五万八〇〇〇円を超えているものである。そして、前述のように恩田グループに対する貸付の実質は手形の書替えと同じであるから、当初の貸付を基準として弁済の充当がなされるべきであり、かつ、利息制限法の制限を超過して支払われた利息は元本に充当されるべきであるから、結局、原告は、恩田グループに対し法律上弁済を請求できる債権については、恩田グループが第三者からの借入金等で弁済した分によって、既に全額回収済みであるというべきである。そうすると、別紙三記載の各貸付金額は、全部が利息制限法の制限を超過した利息相当分であるから、いずれも所得税法上の貸倒損失の前提となる債権ということはできないものである。

3  また、原告が恩田グループに対し法律上弁済を請求できる金額は、最大限に見積っても前述した五五五万八〇〇〇円であるから、全く弁済がないと仮定したとしても、右金額を超える金額を恩田グループに係る貸倒損失として主張し得る余地はないものである。

4  仮に、別紙三記載の貸付金額が法律上請求できる貸付債権であるとしても、その貸倒損失の計上時期は、昭和三九年中であるといわなければならず、実際の課税上も、被告は、原告の昭和三九年分の所得税につき昭和四四年四月一七日付でした更正処分において、事業所得金額の算定上、別紙三記載の貸倒損失額一七八五万二二八〇円を含む恩田グループに対する貸付金の貸倒損失一八二八万一四〇五円を認容しており、原告主張の貸倒額は、既に昭和三九年分で損失として処理済みである。

すなわち、恩田グループは、昭和三九年五月ごろから各人とも支払能力を全く失っていたものであり、原告も、このことを充分承知しながら同グループが原告あてに先に振り出していた約束手形を決済させるため、同グループに更に貸付し、この貸付についても同グループに約束手形を振り出させ、再びこの約束手形を決済させるために次の貸付をするとのことを繰り返してきたものであって、いわば、原告が自己の資金を同グループを介して回転させていたのにすぎず、同年一二月二三日に至り、同じことを繰り返していても意味がないと考えて同グループへの貸付を打ち切ったものである。してみれば、原告からの資金のみでもって原告に対する従前の借入金を返済していた恩田グループにとっては原告から貸付を受けられなくなった昭和三九年一二月二三日をもって、借入金を返済することが不可能な状態になったというべきであり、したがって、同グループに対する貸付金に係る貸倒損失の計上時期は昭和三九年中であるといわなければならないのである。

なお、原告は、昭和四〇年中に恩田俊雄及び小池孝を相手に約束手形金請求訴訟を提起して勝訴判決を得ている旨主張するが、右事実は否認する。原告は、斎藤典久を相手に約束手形金額一五万一八五〇円(振出日昭和三九年一一月一〇日、支払期日同年一二月一〇日の一通)の約束手形金請求訴訟を提起し、勝訴判決を得ているものの、右手形は、別紙三の貸付とは対応しないうえ、右判決の執行手続もなされていないものである。

六  原告の再反論

1  被告は、別紙三記載の貸付金には恩田グループに対するそれ以前の貸付に係る利息制限法の制限を超過した利息分が含まれているので、これについては貸倒損失が生じない旨主張している。

しかし、仮に、右貸付金額に従前の制限超過利息を弁済するための分が含まれているとしても、税務上、収受した利息は制限内の利息も制限超過の利息もすべて所得として課税対象とされているのであるから、右制限超過利息を含む従前の利息の弁済に充てさせるために新たに貸付けられた金員は、そのすべてが貸付元本として貸倒処理の対象になり得るものと解すべきである。

2  被告は、別紙三記載の貸倒損失の発生時期は昭和三九年である旨主張するが、貸倒れは、貸付金の返済が止まった時点で直ちに認められるものではなく、その後貸主が取立てのために手段を尽くしてもなお客観的にも主観的にも取立てが不能であることが判明した時点で初めて貸倒損失を計上すべきものである。本件では、恩田俊雄、斎藤典久及び小池孝が返済をしなくなったのは昭和三九年一二月に入ってからであり、原告の右各人に対する取立ても当然に昭和四〇年に入ってから行われたものであり、その結果が取立不能であったため、原告は恩田グループに対する貸付金の回収を断念せざるを得なくなったのである。してみれば、右貸付金は昭和四〇年の貸倒損失として計上されるべきである。

第三証拠

一  原告

1  甲第一号証の一ないし二三、第二号証の一ないし三三、第三号証の一ないし四五

2  証人恩田俊雄、同恩田ハツイ、同小林義雄の各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果

3  乙第五三号証の二は、原本の存在及び原告作成部分の成立は認めるが、その余の部分の成立は不知。同第六〇号証の二ないし四の成立は不知。その余の乙号各証の成立(第三六号証、第四〇ないし第四五号証、第五三号証の一、第五五号証及び第六〇号証の一については原本の存在及び成立)は全部認める。

二  被告

1  乙第一ないし第三八号証、第三九号証の一、二、第四〇ないし第五二号証、第五三号証の一、二、第五四ないし第五九号証、第六〇号証の一ないし四、第六一号証

2  甲号各証の成立は全部不知。

3  証人本間静夫、同松下正人の各証言

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  先ず、本件更正(一)の適法性について判断するに、被告は原告の昭和四〇年分総所得金額が表(三)のとおり二三六六万九〇二二円であると主張するところ、表(三)の各項目のうち符号1、3、4及び5を除く項目の金額については、当事者間に争いがない。そこで、以下、表(三)の符号1、3、4及び5の項目の金額について検討する。

1  表(三)の符号1(収入利息)

(一)  別紙一の利息の入金額欄記載の各入金のうち、備考欄に「争いなし」と表示してある浅見久江外四〇件の貸付金に対する利息の入金合計一四二万〇四三九円については、当事者間に争いがない。そこで、その余の新井喜代繁外五六件の分について検討する。

(二)  別紙一の証拠欄記載の各乙号証(乙第三六号証は原本の存在及び成立に争いがなく、その余は成立に争いがない。)と成立に争いのない乙号第一号証、第三七、第三八号証、第三九号証の一、二、原本の存在及び成立に争いのない乙第四〇号証、第四四、第四五号証、証人本間静夫の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 昭和四〇年当時、原告は、貸付をする際には埼玉銀行田無支店にある原告の預金口座の小切手を振り出し、これを借主に交付して現金化させるという方法を主としてとり、利息は月八分八厘五毛前後と定めて、これを利息・割引料あるいは諸費用の名目で予め天引きするか、あるいは期日ごとに取立てをしていた。また、右利息のほかに手数料として別途に受領したものもある(表(三)及び(七)の符号2の受取手数料)。そして、右利息・手数料及び元本の支払のために借主から原告あてに約束手形又は小切手が差し入れられることがあったが、原告は、その取立てについても同支店の原告の預金口座を使用していた。

(2) 東京国税局国税査察官本間静夫は、原告に対する所得税法違反嫌疑事件について原告の昭和四〇年分及び四一年分の所得税の調査に当たり、埼玉銀行田無支店から提出された同支店と原告との取引内容についての書面(乙第八号証)並びに原告方で差し押えた貸付金関係書類、個人別貸付元帳及び金銭出納帳並びに関係人から得た供述(乙第九ないし第三七号証)及び約束手形、同控、領収書、入金伝票、メモ等に基づいて、原告が借主側から現金を受領したか、あるいは借主側から受け取った約束手形又は小切手を取立てに出したことが右の各資料によって具体的に裏付けられるもののみを摘記した貸付金等整理表(乙第七号証)を作成したが、昭和四〇年中の入金のうちで、前記資料から貸付元本に弁済されたもの又は手数料として収受されたものでなく利息収入に当たるものと確実に判断できた分を個人別又は取引ごとに集計したところ、別紙一記載の前記新井喜代繁外五六件についてはその利息の入金額欄記載のとおりの金額となった(前記個人別貸付元帳は入金について元本の弁済と利息等の受領とが区別できるように記載されていた。また、手数料とされたものは前記整理表の摘要欄に「手数料」「手」又は「外」と付記されているものである。)。

(3) 前記整理表記載の入出金のうち、摘要欄に「当座預金」と記載されているもの(全入出金件数の過半数を占める。)を前掲乙第八号証の記載と対比してみると、いずれも符合しており、原告の前記預金口座を通じて現実に入出金がなされていることが明らかであり、また、関係人に対する聴取り又は照会によって得た前掲乙第九ないし第三七号証の供述をみても、前記整理表に記載された入金の相当部分についてそれが利息又は手数料として支払われたものであることを右関係人が認めている。

以上のとおり認められ、乙第四四、第四五号証及び原告本人の供述(第一回)中右認定に反する部分は措信できない。

(三)  以上の事実に前掲証人本間静夫の証言を合わせると、他に的確な反証が提出されていない本件においては、前記整理表中の原告の利息収入に当たる入金の記載は正確なものと認めるべきである。したがって、これによれば、昭和四〇年中に前記新井喜代繁外五六件の貸付金に対する利息として合計一〇五六万七一三七円の入金があったものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  そうすると、昭和四〇年中の利息の入金額は、右一〇五六万七一三七円に前記争いのない分一四二万〇四三九円を加えた一一九八万七五七六円となるので、これから、控除すべきことに争いのない桜井秀雄に係る期首未収利息一万三六三〇円、三留正雄に係る期首未収利息八八五〇円及び根本政明に係る期末仮受利息二三万三〇五〇円を控除し、更に、加算すべきことに争いのない三留正雄に係る期末未収利息八八五〇円を加えると、表(三)の符号1(収入利息)の金額は、被告主張のとおり一一七四万〇八九六円となる。

2  表(三)の符号3(物件処分収入)

(一)  被告の主張1(二)のうち、増田鶴一に係る物件処分収入二〇万円及び森田広吉に係る物件処分収入八〇万円については、当事者間に争いがない。そこで、清水春雄に係る物件処分収入について判断する。

(二)  成立に争いのない乙第二ないし第四号証、第五四号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第四一ないし第四三号証、証人本間静夫の証言及び原告本人尋問(第一回)の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和三九年四月二四日清水春雄との間の即決和解(武蔵野簡易裁判所昭和三九年(イ)第七号和解事件。以下「本件和解」という。)により、もと若林テツの所有であって原告が昭和三六年三月二四日に貸付金の代物弁済により取得した本件建物(木造瓦葺二階建店舗兼居宅、建坪一二・〇七坪外二階一〇・八二坪)と、その敷地であって河田道一の所有していた本件土地(面積一六・八坪)とを一括して清水春雄に売り渡した。本件和解の要旨は次のとおりである。

<1> 原告は、清水春雄に対し本件土地・建物を代金二〇〇〇万円で売り渡す。

<2> 右代金のうち二〇〇万円については、同日その授受を完了し、残代金は、昭和三九年五月末日から昭和四〇年四月末日まで毎月一五〇万円づつ支払う。

<3> 本件土地・建物の所有権は、右残代金の弁済が完了したときに清水春雄に移転するものとし、原告は、右弁済完了と同時に清水春雄に対し所有権移転登記手続をする。

<4> 清水春雄が右割賦金の支払を一回でも怠るときは、原告はこの契約を解除することができる。

<5> 原告は、清水春雄に対し本件建物の外形を変更しない限度で内部を改造してこれを使用することを許す。

(2) 右和解当時本件土地はまだ原告の所有ではなかったが、原告は、本件建物を取得した時から本件土地についても所有者である河田道一との間で買取りの交渉を進めていたので、買取予定の下に右和解をしたものであり、その後の昭和四〇年三月一五日に右買取りが成立し、同年一二月一四日河田道一からその所有権移転登記を受けた。

(3) ところが、清水春雄は、原告に対し本件和解による売買代金として前記(1)の<2>の二〇〇万円と割賦金のうち六八二万五〇〇〇円を支払っただけで、残割賦金は原告が同人に対し支払を催告しても支払わなかったので、原告は、昭和四〇年一一月前記裁判所に清水春雄を相手方として建物収去土地明渡しの調停の申立て(同裁判所昭和四〇年(ノ)第七二号調停事件)をなすとともに、右申立てによって、割賦金の不払等を理由として本件和解による売買契約を解除する旨の意思表示をなし、右意思表示はそのころ同人に到達した。

(4) 右調停事件において、昭和四〇年一二月二一日要旨次のとおりの調停(以下「本件調停」という。)が成立した。

<1> 原告は、清水春雄に対し同日新たに本件土地・建物を代金一五〇〇万円と定めて売り渡す。

<2> 右代金は、昭和四一年一月から六月まで毎月二〇万円、同年七月から昭和四三年八月まで毎月五〇万円、同年九月に八〇万円を支払うものとする。

<3> 右代金の弁済が完了したときは、原告は清水春雄に対し本件土地・建物の所有権移転登記手続きをする。

<4> 原告と清水春雄は、本件土地・建物について他に何らの債権、債務のないことを確認する。

<5> 右調停においては、原告が清水春雄から本件和解に基づき先に受領済みである八八二万五〇〇〇円の処置について明示の定めはなされていないが、これを原告が返還することは要しないとの前提で右調停が成立したものである。したがって、原告は合計二三八二万五〇〇〇円を取得できることとなった。

以上のとおり認められ(本件建物が旧所有者若林テツから昭和三六年三月二四日原告に代物弁済として譲渡されたものであること、本件土地が旧所有者河田道一から昭和四〇年三月一五日原告に譲渡されたこと及び本件和解、調停が行われたことについては、当事者間に争いがない。)乙第四五号証中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  以上の事実によれば、本件土地・建物については、昭和三九年四月二四日の本件和解により代金額を二〇〇〇万円とする売買契約がいったんなされ、その内入代金八八二万五〇〇〇円の授受及び本件建物の買主による使用も行われているが、その当時においては、一体として売買された本件土地・建物のうち本件土地はまだ原告の所有ではなく、原告がその所有権を買主に移転するに由なかったものであることが明らかである。のみならず、右売買契約はその後に履行完了しないまま昭和四〇年に代金不払等により解除され、同年一二月二一日に成立した本件調停において改めて新たな条件による売買が合意され、これによって原告が本件土地・建物の売買により買主から合計二三八二万五〇〇〇円を取得できることがきまるとともに、その時点では、本件土地の所有権を買主に移転するについての法的障害も既になくなっていたのであるから、彼此合わせ考えると、本件土地・建物の処分収入である右二三八二万五〇〇〇円は、本件和解の成立した昭和三九年分の収入とすべきものではなく、本件調停の成立した昭和四〇年にその収入すべき権利が確定したものとして同年分の収入と認めるのが相当である。

(四)  そうすると、表(三)の符号3(物件処分収入)の項目の金額は、右二三八二万五〇〇〇円に、(一)で述べた当事者間に争いのない分合計一〇〇万円を加えた二四八二万五〇〇〇円となる。

3  表(三)の符号4(物件処分原価)

(一)  被告の主張1(三)のうち、増田鶴一に係る物件処分原価一一万〇二〇〇円及び森田広吉に係る物件処分原価五〇万円については、当事者間に争いがない。また、清水春雄に係る物件処分原価のうち、本件建物分の六三六万二一六八円についても、当事者間に争いがない。そこで、本件土地の処分原価について判断する。

(二)  前掲乙第四号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第五三号証の一、原本の存在及び原告作成部分の成立につき争いがなく、その余の部分につき右乙第四号証によって成立を認める乙第五三号証の二、証人本間静夫の証言及び原告本人尋問(第一、二回)の結果を総合すると、原告は、前記のとおり、昭和三六年三月二四日若林テツから本件建物を代物弁済によって取得したことに伴い、昭和四〇年三月一五日その敷地である本件土地を所有者である河田道一から買い受けたが、その際、原告と河田道一は、同土地が若林テツにおいて賃借中のものであることを認めたうえで「売買価格金一六七万三二〇〇円也」と記載した売買契約書を取り交わし、その所有権移転登記をした同年一二月二四日に河田道一から原告に対し右売買代金一六七万三二〇〇円の領収書を交付したことが認められる。そして、前掲乙第三ないし第五号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第五五号証並びに成立に争いのない乙第五六ないし第五九号証によれば、本件土地は商業地に位置しており、昭和四〇年三月当時のその底地価額を推計してみると、地価公示法による昭和五三年の標準地(東京都武蔵野市吉祥寺本町一の二〇五一の二)の公示価格(一平方メートル当たり一一八万円)を財団法人日本不動産研究所発表の市街地価格推移指数によって昭和四〇年三月当時の価格に時点修正し、更に東京国税局の相続税評価基準としての昭和四〇年度の路線価における右標準地の価額と本件土地の価額との比率によって場所的修正をしたうえで、底地分の評価を更地価額の三割として計算すれば、約一八五万円となることが認められる。以上の事実によると、原告は河田道一から本件土地の底地を取得したものであり、その取得価額は前記契約書記載のとおり一六七万三二〇〇円であったと認めるのが相当である。

(三)  原告は、右売買契約書記載の金額は真実ではなく、真実の代金額は約一六〇〇万円である旨主張し、原告本人もこれにそう供述をする。

しかし、右売買が更地としての売買ではなく、これまで借地権の対象となっていた土地としての売買であることは明らかであり、一六〇〇万円という価額は、(二)で推計した標準的底地価額に比して高額にすぎるといわざるを得ない。また、右原告主張のとおりであるとすれば、原告は、本件土地を一六〇〇万円、本件建物を六三六万二一六八円合計二二三六万二一六八円で取得したにもかかわらず、本件和解において右土地・建物を二〇〇〇万円で清水春雄に売り渡す契約をしたことになり、極めて不自然というほかない。この点に関する原告本人の供述は曖昧で一貫性がなく、刑事事件での従前の供述(乙第四五号証)とも柔盾する。更に、証人小林義雄の供述にも前記認定と相容れないかのような部分があるが、にわかに採用しがたい。他に前記認定を覆えして原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

(四)  そうすると、表(三)の符号4(物件処分原価)の金額は、(二)で認定した一六七万三二〇〇円に、(一)で述べた当事者間に争いのない分合計六九七万二三六八円を加えた八六四万五五六八円となる。

4  表(三)の符号5(貸倒損失)

(一)  表(六)記載の貸倒損失額合計一二〇万九二八八円については当事者間に争いがない。原告は別紙三の貸付金に係る表(九)記載の金額も昭和四〇年中の貸倒損失であると主張するので、この点について判断する。

(二)  前掲乙第八、第四四、第四五号証、原告本人尋問(第一回)の結果及び弁論の全趣旨により成立を認める甲第一号証の一ないし二三、第二号証の一ないし三三、第三号証の一ないし四五、成立に争いのない乙第四六ないし第五二号証、第六一号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第六〇号証の一、証人松下正人の証言により成立を認める乙第六〇号証の二ないし四、証人恩田俊雄、同恩田ハツイ及び同松下正人の各証言、原告本人尋問(第一回)の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) トラック一、二台を使って小規模な建材用砂利等の運搬ないし販売を行っていた恩田俊雄の妻である恩田ハツイは、昭和三五年ごろ生活費や夫の事業関係費に充てるため約二五万円ないし三〇万円を原告から借り入れたのを初めとして、原告より貸付を受けるようになり、大体同じころから昭和三七年ごろまでの間に、恩田俊雄及び同人の同業者であった渡辺清治(恩田ハツイの弟)、小池孝、斎藤典久(恩田ハツイの親戚)も恩田ハツイを通じるなどして原告から一回数万円ないし二〇万円程度の借入れをするようになった。

(2) 右借入れは、借主が原告から小切手を受け取り、これを埼玉銀行田無支店の原告の当座預金口座で現金化するという方式を主にとり、その弁済は、借入れの翌月から四、五か月ないし一〇か月位の割賦弁済とし、借入れの際に、元本額を右回数に均等に分割してこれに弁済期ごとに月八分八厘五毛前後の利息を上乗せした額面の約束手形を予め借主が原告に交付し、原告が右手形を原告の前記口座に預け入れて取り立てるという方式を主にとっていた。

(3) 右借入れの大部分は恩田ハツイが中心となって交渉に当たったものであるが、同人の借入れに係る約束手形の振出の際に恩田俊雄名義を用いたり、あるいは、恩田グループの他の者に係る借入れの際も同グループの各人間で相互に約束手形に裏書をするなどしており、後述のように同グループの振り出した約束手形の決済資金とするための借入れが多くなるにつれて、恩田グループの各人の原告に対する債務は混然となってきた。そして、昭和三九年半ばころ以降の恩田グループでは、原告から受け取った小切手を現金化するのに適宣恩田俊雄又は渡辺清治の名義を用い、他方、弁済のための約束手形は、主に小池孝の名義(支払場所は太平信用金庫調布支店又は協和銀行調布支店)で振り出したほか、適宣斎藤典久名義(支払場所は三鷹市農業協同組合三鷹駅前支店)又は恩田俊雄名義(支払場所は太平信用金庫調布支店)も用い、更に、これに渡辺清治又は恩田俊雄等の名義で裏書をなすなどしていたため、原告に対する債務に関して同グループの中での個人の区別はほとんどないに等しくなった。

(4) ところで、恩田グループの各人はもともと資力のとぼしいものばかりであり、原告から貸付を受け始めて間もなくその返済が困難となった。そのため、恩田グループでは、従前差し入れた約束手形を利息分を加算して書き替えてもらったり、あるいは、右手形を決済するために原告から新たな貸付を受けてこれによって右手形を決済し、更にこの元利金の弁済のため次の借入れを繰り返すということが多くなり、第三者から相当額の借入れをしてこれを原告への弁済に充てることなどもしたものの間に合わず、結局、利息が利息を生む結果となり、総借入金額は時とともに多額化していった。そして、遅くとも昭和三九年八月ごろになると、原告から恩田グループに対して従前の約束手形の決済のためではない新たな貸付けはほとんど行われず、一方、恩田グループからも、自己資金又は第三者からの借入金による弁済は全くなされなくなった。すなわち、原告と恩田グループとの間の取引は、同グループが従前振り出した約束手形の各支払期日の前後ごろに恩田ハツイがその決済資金の借入れのため新たな約束手形を持参して原告を訪れ、原告の小切手(時には右小切手を原告の事務員が現金化したもの)を受け取り、これを直ちに従前の約束手形の決済のため前述した支払場所の各口座に預け入れるということの繰返しにすぎなくなった。別紙三の分割弁済金額欄記載の金額も、以上のようにして原告に振り出された約束手形の額面金額である(但し、そのすべてがこれと見合う金額の小切手等と引換えに交付されたものであるか否かは不明である。)。

(5) 昭和三九年八月ごろには、恩田グループから原告に振り出した多くの約束手形の支払期日がほとんど連日くるようになり、支払期日ごとの支払額も著しく増加した。恩田グループの約束手形のうち毎月決済されたものの合計金額は、原告の前記当座預金口座を介して取り立てられた分を概算してみると、同年八月以降少ない月でも約一二〇〇万円以上になり、同年八月一日から同年一二月二〇日までの総計は約七〇〇〇万円に上った。また、同年八月以降、右当座預金口座から恩田俊雄又は渡辺清治名義で現金化された小切手の金額を概算してみると、少ない月でも約一七〇〇万円以上に上り、同年八月一日から同年一二月二三日までの総計は約一億円に上った。

(6) 昭和三九年当時の恩田グループ及びその振出の約束手形の一部に裏書をしている訴外藤田善三郎の財産状態をみると、いずれも収入がとぼしく、日々の生活をするのに精一杯で、不動産その他特段の資産は何も有しておらず、借入れの中心であった恩田ハツイは、原告以外の者からの借入金の残高も約七五〇万円に達し、これ以上第三者から借入れをなす方策も尽きていた。このため、前述のような約束手形の膨張に伴い、恩田グループの各人は、原告から借り入れた金額が従前の約束手形の決済資金に不足する場合にこれを金策によって一時補填することすらもできなくなり、逐に斎藤典久名義の昭和三九年一一月一三日支払期日の約束手形が最初に不渡りとなったのに続いて、その後も何度も不渡がが発生した。このような状況のもとで、原告は、これ以上恩田グループに対して約束手形の決済資金の貸付を繰り返すことをやめる旨決意し、同年一二月二〇日ごろを最後にして恩田グループに対する貸付を拒絶した。そのため、支払期日同月二二日、二三日、二四日の小池孝名義の約束手形が連続して不渡りとなり、更に、恩田俊雄振出名義の約束手形も不渡りとなり、以後一切支払はなされなかった。

(7) 原告は、同年一二月二三日ごろ恩田ハツイらを呼び出して資金の返済を強く催促したが、渡辺清治は間もなく従前の住所から引越してしまい、小池孝、斎藤典久及び藤田善三郎も行方を隠した。また、原告も、同年一二月二三日以降は恩田グループの約束手形をあまり取立てに出さなくなり、昭和四〇年一月初めごろからは一切取立てに出さなくなった。なお、恩田グループに対する以上の手形貸付はすべて無但保で行われたものである。

(8) 被告は、昭和四四年四月一七日付で原告の昭和三九年分所得税についての更正処分をしたが、その事業所得の算定に当たって、原告の恩田グループに対する債権は昭和三九年中にすべて回収不能となった旨判断し、前述した原告の預金口座からの小切手による出金と約束手形による入金とを対照して同年中の未収貸付金を一八二八万一四〇五円と計算したうえ、その全額を同年中の貸倒損失と認めて収入金額から減算した。

以上のとおり認められ、乙第四四、第四五号証、証人恩田俊雄、同恩田ハツイ及び原告本人(第一回)の各供述中右認定に抵触する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  以上の事実によれば、遅くとも昭和三九年八月以降の原告から恩田グループへの貸付と取立ての繰返しは、実質的には原告が一人で恩田俊雄らの口座を介して自己の資金を回転させながら、その過程で利息の元本組入れをなしていたというに近いものであり、恩田グループに係る多額の約束手形が決済されているのも、実体は原告が自己の資金で決済させていたにすぎないということができる。

その当時の恩田グループは各人とも原告からの多額の借入金を返済し得る資力はなく、原告が資金の供給を打ち切れば直ちに返済不能となる状態にあったもので、このことは、同年一二月二〇日ごろ原告からの資金の供給が打ち切られるや、その直後から恩田グループの約束手形が決済されなくなったことからも明らかである。そして、このような同グループの資力ないし信用状態が好転する見込みがあったものとはとうてい認めることができない。原告としても、このような事情は熟知していたものと考えられる。要するに、恩田グループは、原告からの新たな借入れによって旧借入れを返済することを繰り返していた当時から既に実質的、潜在的には支払不能に陥っていたものであり、それが原告の貸付打切りにより顕在化し、動かしがたいものになったと認めるべきである。してみると、別紙第三記載の分割弁済金額を含む原告の恩田グループに対する貸金債権については、その全額が法律上適法に請求し得るものか否かは別として、原告が同グループに対する貸付を打ち切った昭和三九年一二月末には事実上回収できないことが客観的にも明らかであったといわなければならない。

(四)  原告は、貸倒損失は取立てのための手段を尽くしてもなお取立不能であることが判明した時点で初めて計上すべきである旨主張するが、右認定の経過からすれば、本件においては、原告が通常可能な取立手段を尽くしたとしても回収不能であることが昭和三九年一二月末の時点で客観的に明白であったというべきであるから、その時点での貸倒れと認めることに妨げはない。

(五)  以上により、別紙第三の貸付金に係る表(九)記載の金額は、それが適法に請求し得るものであったとしても、昭和三九年分の貸倒損失となるべきものであり、昭和四〇年分の貸倒損失と認めることはできない。右貸付金につき原告の昭和三九年分所得税の更正処分において貸倒損失として認容されていることは、(三)の(8)で述べたとおりである。

(六)  そうすると、表(三)の符号5(貸倒損失)の金額は、被告主張のとおり一二〇万九二八八円となる。

5  以上によれば、原告の昭和四〇年分の総所得金額は、二三六六万九〇二二円であると認められ、本件更正(一)の課税標準と同額であるから、本件更正(一)には原告主張の瑕疵はない。

三  次に、本件更正(二)の適法性について判断するに、被告は原告の昭和四一年分総所得金額が表(七)のとおり一七二五万三七五六円であると主張するところ、表(七)の各項目のうち符号1及び6を除く項目の金額については、当事者間に争いがない。そこで、以下、表(七)の附号1及び6の項目の金額について検討する。

1  表(七)の符号1(収入利息)

別紙二の利息の入金額欄記載の各入金のうち、松井大八郎に係る分を除くその余の利息の入金については、当事者間に争いがない。

そこで、松井大八郎に係る入金について検討するに、前記二1で認定した事実のほか、前掲乙第一、第二号証(乙第二号証中の松井大八郎関係部分の作成経過は前掲乙第七号証の場合と同様である。)成立に争いのない乙第六号証及び証人本間静夫の証言によれば、原告は、昭和四一年中に松井大八郎から合計八四万〇四五〇円を貸付金の利息として受領したことを認めるに十分である。

してみれば、原告の昭和四一年中の利息の入金額は、合計一八二九万一六三八円となるので、これから、控除すべきことに争いのない三留正雄に係る期首未収利息八八五〇円を控除し、更に、加算すべきことに争いのない塚田申二郎に係る期末未収利息一一万九六二一円及び根本政明に係る期首仮受利息二三万三〇五〇円を加えると、表(七)の符号1(収入利息)の金額は、被告主張のとおり一八六三万五四五九円となる。

2  表(七)の符号6(貸倒損失)

表(八)記載の貸倒損失額合計五九万一三七四円については当事者間に争いがない。

原告は、右のほか表(一〇)記載の金額も昭和四一年中の貸倒損失であると主張するが、前掲乙第一号証及び弁論の全趣旨によれば、表(一〇)記載の金額はいずれも昭和四一年中には客観的には回収不能に至っていなかったものと認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、表(七)の符号6(貸倒損失)の金額は、被告主張のとおり五九万一三七四円となる。

3  以上によれば、原告の昭和四一年分の総所得金額は、一七二五万三七五六円であると認められ、本件更正(二)の課税標準と同額であるから、本件更正(二)には原告主張の瑕疵はない。

四  次に、昭和四〇年分及び昭和四一年分の所得税に係る重加算税の賦課決定処分の適法性について判断する。

原告の昭和四〇年分及び昭和四一年分の総所得金額は前記認定のとおりであり、原告はこれを過少に申告したものであるところ(原告の申告額については当事者間に争いがない。)、前記認定事実のほか、前掲乙第一、第八、第一一、第一九、第二〇、第二二、第二三、第四〇、第四四及び第四五号証、証人本間静夫の証言、原告本人尋問(第一回)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、仮名の預金口座を使用したり実際の入出金と異なる書類を作成したりするなど、課税標準等の計算の基礎となるべき事実を故意に隠ぺい又は仮装し、その隠ぺいし仮装したところに基づいて右申告をなしたものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

してみれば、右重加算税賦課決定処分についても何ら瑕疵はないといわなければならない。

五  以上の次第で、本件各課税処分はいずれも適法であるから、これらの取消しを求める本訴請求はいずれも理由がないので、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 泉徳治 裁判官 菅野博之)

別紙一 (昭和四〇年分)

<省略>

別紙二 (昭和四一年分)

<省略>

別紙三

恩田俊雄名義の分

<省略>

斎藤典久名義の分

<省略>

小池孝名義の分

<省略>

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